小学生でも深くまで分かる!社会のことば辞書

相沢忠洋 | あいざわただひろ

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【1. 「相沢忠洋」をサクッと知ろう】

1-1. 相沢忠洋とは?

・相沢忠洋は、群馬県の岩宿遺跡で打製石器を発見した考古学者です。

1-2. なぜ有名なのか?

・相沢忠洋が岩宿遺跡で打製石器(=旧石器)を発見したことにより、これまで日本にはないと考えられていた旧石器時代があったことが判明しました。(それまで日本の歴史は縄文時代から始まったと考えられていた。)

【2. 「相沢忠洋」をシッカリ知ろう】

・1926年(大正15年)6月21日東京都大田区生まれ。

・1944年(昭和19年)、18歳の時に海兵団へ入団。

・終戦後、群馬に渡り、考古学研究を始めました。

・群馬県新田郡(現在のみどり市)の関東ローム層で、1946年(昭和21年)に細石器を、1949年(昭和24年)に黒曜石でできた尖頭器を発見しました。

・それまで日本には旧石器時代がない(縄文時代から日本の歴史が始まった)と考えられていましたが、この発見により、日本にも旧石器時代があったことが判明しました。

・1989年(平成元年)5月22日、群馬県にて亡くなりました。

【3. 「相沢忠洋」に関する「雑学」的知識!】

第二次世界大戦のときは水兵だった!

・1926年生まれの相沢忠洋は、1944年(18歳)の時に海兵団に入団し、第二次世界大戦では水兵として、海軍の駆逐艦「蔦(つた)」に乗艦していました。

「在野」の考古学研究者だった!

・終戦後、群馬に住み、考古学研究を始めましたが、大学や研究所などには所属せずに個人で研究していたため(=在野の研究者だったため)、資金を稼ぐことができ、かつ研究の時間もとりやすい納豆の移動販売(行商)を行っていました。

東京-群馬間の120kmの距離をチャリで爆走!

・自分が発見した石器が旧石器なのかを鑑定してもらうために東京に行った際に、当時明治大学の大学院生だった芹沢長介(のちの東北大学教授)に出会いました。その後、東京にいる芹沢長介に考古学のアドバイスをもらうために、群馬から東京までの約120kmの道のりを自転車で日帰りで往復していました。

4. 中学受験での実際の出題例(過去問)

浦和実業学園中学校2019年度(平成31年度)

「私は村々での商いの岐路を急いだ。…両側が2メートルほどの崖(がけ)となり赤土の肌があらわれていた。…長さ3センチばかり幅1センチほどのその石片は、手のひらの上でガラスのような透明な肌を見せて黒光りしていた」

(1) この文は行商をしながら考古学を学んでいた相沢忠洋が書いた本からの書き抜きです。ここで述べられている遺跡は何と呼ばれるものですか。次のア~エの中から1つ選び、記号で答えなさい。

 ア 登呂遺跡  イ 岩宿遺跡  ウ 三内丸山遺跡  エ 野尻湖遺跡

(2) 下線は関東平野において広く見られる火山灰が積み重なって更新世(縄文時代より前)の地層で、これを□□□□□□といいます。□□□□□□に当てはまる語句を答えなさい。

【解答】

 (1) イ (2) 関東ローム層