みなさんこんにちは!
前回は、弥生時代の中でも「考古学」的に判明したことを中心に学びました。
今回は、弥生時代の中でも「文献史学」的に判明したことを中心に学んでいきましょう!
Contents
紀元前1世紀頃の日本
当時の日本のことは、中国の書物である『漢書』地理志で知ることができます。
この『漢書』地理志には当時の日本の様子が記されており、それによると、
・当時の中国は日本のことを「倭(わ)」と呼んでいた。
・そしてその「倭(わ)」は、100個ほどの小国に分かれていた。
ということが記載されています。
1世紀半ば頃の日本
また、1世紀半ば頃の日本のことは、中国の書物である『後漢書』東夷伝で知ることができます。
この『後漢書』東夷伝によると、
・現在の福岡辺りにあった小国の「奴国(なこく)」が、漢(当時の中国)に遣いを送ったこと。
・そしてその遣いが、漢の皇帝から金印を授けられたこと。
が記載されています。
時は変わりますが、この時代よりもだいぶ後の江戸時代に、福岡県の志賀島(しかのしま)で「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻まれている金印が発掘され、これが先述の、漢の皇帝から奴国の遣いに贈られた金印だと考えられています。
3世紀頃の日本
3世紀ごろの日本のことは、これも中国の書物である『魏志』倭人伝で知ることができます。
この『魏志』倭人伝によると、
・日本には邪馬台国(やまたいこく)という国があること
・その邪馬台国には卑弥呼(ひみこ)という女王がいること
・中国の皇帝がこの卑弥呼に銅鏡などを授けたこと
などが記されています。
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