古墳時代

【網羅する歴史 #5】「古墳時代」を網羅的に学ぼう〈中学受験〉

古墳時代
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みなさんこんにちは!

前回は、弥生時代・後半について学びました。

今回は、古墳時代について網羅的に学んでいきましょう!

前提:古墳時代のことは「何」で知ることができるのか?

古墳時代も、日本(倭・倭国)にはまだ文字がありませんでした。よって、弥生時代後半と同様に、中国の歴史書を見る必要があります。

しかし、古墳時代の前半にあたる4世紀は、中国では大きな争いが起こっていたため、日本のことを記録する余裕が当時の中国にはなく、約150年間は倭国に関する記述が一切なくなってしまいました。これを「空白の4世紀」と言います。

よって、この「空白の4世紀」のことに関しては、中国の歴史書ではなく、考古学的に調べる必要があります。そこで調査対象となったのが「古墳」です。

というわけで、古墳時代前半(4世紀)を知るためには、古墳その古墳のある遺跡を通して見ていく必要があります。

 5世紀以降には中国の歴史書に日本(倭・倭国)に関する記述が再び現れるので、文献史学的に学んでいく視点も必要になってきます。

3世紀半ば~4世紀

「ヤマト政権」の誕生

3世紀半ば~4世紀、現在の奈良県北部の大和地方で、大王を中心に豪族たちがまとまり、日本で最初の政治連合の「ヤマト政権(王権)をつくりました。

このヤマト政権では、大王は、豪族の家柄に応じて役職を与え、政治に参加させる仕組みを採用していました。この政治の仕組みのことを「氏姓制度(しせいせいど)」といいます。

ヤマト政権の時代の文化を発展させた「渡来人」

中国や朝鮮から日本に渡ってきた人々を「渡来人(とらいじん)」といいます。

この渡来人が大陸からさまざまな技術や文化を日本(倭・倭国)にもたらしたことで、古墳時代はこれまでよりも大幅に文化が構築されていきます。具体的には以下のようにまとめることができます。

【渡来人がもたらしたもの】

① 土木工事の技術
→古墳・ため池・用水路をつくれるようになりました。

② 土器づくりの技術
→丘の斜面を利用したのぼりがまを用いて、須恵器(すえき)と呼ばれる土器をつくれるようになりました。

③ 製鉄の技術
→鉄製の武器・農具をつくれるようになりました。

④ 機織りの技術
→機(はた)を使って絹織物をつくれるようなりました。(原料は蚕(かいこ)の繭(まゆ)からとった生糸(きいと))

儒教
→5世紀、孔子が説いた儒教が朝鮮の百済(くだら)から日本に伝えられました。

仏教
→6世紀、釈迦(シャカ)が始めた仏教が朝鮮の百済(くだら)から日本に伝えられました。

伝来した技術により、古墳が作られるように

渡来人によってもたらされた土木工事の技術を活用し、古墳時代の大王や豪族は、蓄えた富や権力を誇示するために、「古墳(こふん)」という墓をつくりました。

また、古墳の頂上や周りには、素焼きの土製品である埴輪(はにわ)が置かれました。

主な古墳①:大仙古墳(仁徳陵古墳)

日本最大級の前方後円墳があるのが、大阪府堺市にある大仙古墳(仁徳陵古墳)です。

主な古墳②:「稲荷山古墳」

また、稲荷山古墳(いなりやまこふん)で出土した鉄剣から、関東の豪族がヤマト政権に仕えていたことが分かりました。

4世紀終わり頃

4世紀の終わり頃のことは、高句麗の好太王碑(広開土王碑)に記されています。

具体的には、ヤマト政権が百済(くだら)と組んで高句麗(こうくり)新羅(しらぎ)と戦ったことが記されています。

5世紀

5世紀に入ると、中国の歴史書に日本(倭・倭国)に関する記述が復活します。代表的なのが、『宋書』倭国伝(そうじょわこくでん)です。

この『宋書』倭国伝によると、倭の五王が圧倒的な権力をもっていて、国をしていたと記されています。

この倭の五王とは、具体的には讃(さん)・珍(ちん)・済(さい)・興(こう)・武(ぶ)の5人のことで、このうち「武(ぶ)」は雄略天皇のことだと考えられています。

倭の五王は、中国にたびたび遣いを送り、朝鮮半島南部の支配を認めてもらおうとしました。

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