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【網羅する歴史 #10-1】ストーリーで学ぶ「安土桃山時代①-織田信長編」

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― 室町幕府はなぜ倒れ、なぜ信長が時代を動かしたのか ―

第1章 室町幕府の終わり―なぜ日本は戦国時代になったのか

ではまず、安土桃山時代に入る前のところから、きちんと流れをつかみましょう。

信長がすごかった、秀吉が統一した、という話だけを覚えても、実は安土桃山時代は本当には見えてきません。いちばん大事なのは、その前にあった室町幕府の崩れです。

もともと日本には、室町幕府という政権がありました。将軍がいて、その下に守護大名たちがいて、全国をまとめる仕組みが一応は存在していました。

ところが、この仕組みはだんだんうまく動かなくなっていきます。

なぜか。

理由の一つは、将軍の力そのものが弱くなったからです。将軍家の中で後継ぎ争いが起き、政治が不安定になります。さらに、応仁の乱(1467〜1477年)が起きると、京都そのものが長い戦場になりました。幕府の本拠地である京都が荒れ果てるということは、幕府の権威そのものが大きく傷つくということです。

しかも問題はそれだけではありません。地方でも、大名たちがしだいに幕府の命令を聞かなくなっていきました。
「将軍の命令を待つより、自分の土地は自分で守った方が早い」
そう考える大名が増えていったのです。

ここで、土地の仕組みも関係してきます。もともと各地には荘園があり、貴族や寺社が支配していました。ところが戦乱が続く中で、遠く離れた京都の貴族や寺社が現地を十分に支配することは難しくなっていきます。すると、その土地にいる武士たちが実力で支配するようになります。

つまり、こういう流れです。

幕府が弱くなる
→ 地方の大名が自立する
→ 各地で力の強い者が支配する
→ 日本全体がバラバラになる

これが戦国時代です。

ここで一度、要点を整理しておきましょう。

👉 要点整理
・将軍家の内紛と応仁の乱で、室町幕府の力が落ちた
・荘園の支配も崩れ、地方の武士が自立した
・その結果、各地に戦国大名が生まれ、日本はバラバラになった

つまり、信長が登場する前の日本は、
「強い中心がない国」
だったのです。

では、このバラバラの日本を、最初に本気でまとめようとしたのは誰か。
そこで登場するのが、尾張の一大名、織田信長です。

第2章 桶狭間の勝利―なぜ信長は一気に歴史の表舞台に出たのか

戦国時代の日本には、多くの大名がいました。

その中で、最初から信長が圧倒的に有利だったわけではありません。むしろ逆です。信長は尾張国の一大名で、全国から見ればまだ一地方の有力者にすぎませんでした。

そんな信長の前に立ちはだかったのが、東海地方の大大名、今川義元です。今川義元は大軍を率いて西へ進み、京都を目指していました。もし今川義元がそのまま京都へ入り、政治の中心を押さえていたら、その後の歴史はかなり違っていたかもしれません。

このとき信長は、兵の数では大きく劣っていました。普通に戦えば負ける。
では、どうしたか。

信長は、敵の弱る瞬間を待ちました。今川軍は長い移動で疲れており、しかも勝利を確信して油断していました。そこへ桶狭間の戦い(1560年)で、信長は地形と天候を利用した奇襲を仕掛けます。突然の雨で敵の視界が悪くなったタイミングも、信長には味方しました。混乱した今川軍の本陣に一気に攻め込み、ついに今川義元を討ち取ります。

この勝利は、ただの一勝ではありません。

それまでの常識では、強い大名が大軍で攻めれば、そのまま勝つはずでした。ところが信長は、それをくつがえしたのです。

つまり桶狭間の戦いが示したのは、
「戦国は、ただ大きい者が勝つ時代ではなくなった」
ということでした。

この一戦で、信長は「尾張の一大名」から「天下を動かすかもしれない人物」へと変わります。

そしてここから、信長は次の一手を考えます。

「天下を目指すなら、次にどこを押さえるべきか。」

答えは明らかでした。
京都です。

第3章 京都進出と室町幕府の滅亡―なぜ信長は将軍を利用したのか

ここからの信長の動きは、非常に戦略的です。

戦国時代、日本はバラバラでした。
しかし、それでもなお「日本の政治の中心はどこか」と聞かれれば、答えは京都でした。将軍がいて、朝廷がいて、伝統的な権威が集まっている場所です。
つまり、ただ地方で勝ち続けるだけでは、天下人にはなれません。政治の中心に入る必要があるのです。

そこで信長が目をつけたのが、足利義昭でした。義昭は、将軍家の一族でありながら、当時はまだ将軍になれていませんでした。信長はこの義昭を助け、1568年に京都へ進出します。

ここで大切なのは、「なぜ信長は義昭を将軍にしたのか」という点です。

信長自身は足利将軍家の人間ではありません。ですから、自分がいきなり将軍になることはできません。
けれども、将軍候補を助けて京都に入り、その将軍を後ろから支えれば、実際の政治の主導権を握ることができます。

つまり信長の考えはこうです。

足利義昭を将軍にする
→ 自分はその最大の支援者になる
→ 将軍を通して日本の政治を動かす

このようなもくろみで、信長は将軍を支えるという形で実権を握りながら京都に進出しました。信長はここで初めて、「地方大名」から「中央政治の担い手」へと変わったのです。

ところが、ここから問題が起きます。

義昭から見れば、自分は将軍です。なのに、実際には信長の力が強すぎる。
「将軍は自分なのに、政治を動かしているのは信長ではないか」
こうして両者の関係はしだいに悪化していきます。

義昭は各地の大名や寺社勢力に呼びかけ、信長に対抗しようとします。いわゆる信長包囲網です。信長にとって、ここでの戦いは単なる地方戦ではありません。京都で握った主導権を守れるかどうか、日本全体の支配に進めるかどうかがかかった戦いでした。

信長はこれを一つずつ打ち破っていきます。
そしてついに1573年、義昭を京都から追放します。

これにより、足利家を中心とした政権である室町幕府は終わりを迎えました。

ここで歴史は大きく切り替わります。
それまでの信長は、「戦国の中で勝ち上がる大名」でした。
しかし室町幕府を終わらせたことで、信長はもう単なる戦国大名ではなくなります。

ここから信長は、
「新しい国の仕組みを作る側」
へと進んでいくのです。

第4章 信長の改革―なぜ「戦う大名」が「国をつくる存在」に変わったのか

室町幕府を倒しただけでは、日本はまだ統一されません。
なぜなら、日本にはまだ多くの戦国大名がいて、それぞれが自分の力で領国を支配していたからです。

ここで信長は、一つ気づいていました。
ただ戦って勝つだけでは、日本を安定して支配することはできない。
戦いに勝ったあと、人・物・お金がよく動く仕組みを作らなければならない。
だからこそ、信長は改革に乗り出します。

代表的なのが楽市楽座です。

当時、多くの町では「座」と呼ばれる商人の組織がありました。座に所属した商人だけが特定の商品を売ることができ、新しく商売に入りたい人は簡単には入れませんでした。さらに、座は寺社や貴族の保護を受けていることが多く、その見返りにお金を納めていました。

つまり、それまでの商売は、
一部の特権を持つ商人が、守られながら独占する仕組み
だったのです。

信長はこれを壊します。これを先の「楽市楽座」です。
「もっと自由に商売させた方が、人も物も集まり、町が栄える」
そう考えたからです。

さらに関所も減らし、物流をスムーズにします。これによって、商人たちは動きやすくなり、町は活気づいていきます。

ここでの信長は、もはやただの武将ではありません。
経済のしくみまで変えようとしているのです。

一方で、信長は宗教勢力にも厳しい態度をとります。
当時の比叡山延暦寺石山本願寺は、ただのお寺ではありませんでした。広大な土地と大きな経済力を持ち、しかも武装した集団でもありました。
信長から見れば、これは「自分の命令に従わない、もう一つの国家のような存在」です。

そこで信長は1571年、比叡山延暦寺を焼き討ちします。さらに石山本願寺とも長く戦います。

もちろん、これは非常に激しいやり方です。
ただ、信長の論理で言えばはっきりしています。

バラバラの日本を一つにまとめるには、
自分以外の強い権力を認めない

これが信長のやり方でした。

ここで一度整理しておきましょう。

👉 要点整理
・幕府を倒したあとも、日本には強い大名や宗教勢力が残っていた
・信長は、戦いだけでなく経済の仕組みも変えた
・楽市楽座や関所の整理で、人と物の流れを活発にした
・一方で、比叡山延暦寺や石山本願寺のような対抗勢力は徹底して押さえ込んだ

つまり信長は、
「勝つために戦う人」から
「支配を安定させる仕組みを作る人」へ

変わっていたのです。

けれども、仕組みを作り始めたからといって、すぐに日本が統一されたわけではありません。
むしろここから、信長は「統一に向かう途中で避けられない大きな戦い」に直面します。

それが長篠の戦いです。

第5章 長篠の戦い―なぜ統一を進める中で大戦が必要だったのか

ここで、「信長は国をつくる存在になったのに、なぜまた大きな戦いが起きるのか」と感じる人が多いと思います。
でも実は、ここはきれいにつながっています。

信長が幕府を倒し、改革を始めたとしても、日本のすべてがすぐに信長に従ったわけではありません。
各地にはなお強大な戦国大名が残っていました。
つまり、改革を全国に広げるには、信長の支配に従わない有力大名を倒さなければならないのです。

その代表が武田氏でした。

武田信玄はすでに有名な大大名で、信長にとって大きな脅威でした。信玄の死後、その後を継いだのが武田勝頼です。信長と徳川家康にとって、武田氏を放っておけば、東日本からの大きな圧力が残り続けます。
つまり長篠の戦いは、「急に起きた別の戦い」ではなく、
日本統一を進めるために避けられない戦い
だったのです。

さて、この長篠の戦いで大きな役割を果たすのが「鉄砲」です。

鉄砲は1543年、ポルトガル人によって日本にもたらされました。これは南蛮貿易や南蛮文化の広がりの一部です。

信長の時代には、すでに鉄砲そのものは知られていました。
ただし、多くの武将はまだそれを補助的な武器として見ていました。
ところが信長は違いました。

「これからは、鉄砲をどう大量に集め、どう組織的に使うかで戦いが変わる」
そう考えたのです。

信長は商業を重視していたので、お金を動かし、鉄砲を調達する力も持っていました。楽市楽座などで経済を活発にし、城下町を発展させることは、実は軍事力の強化にもつながっていたのです。
つまり、信長が鉄砲をうまく使えたのは、単に新しい物好きだったからではありません。
経済力と組織力があったからです。

そして**長篠の戦い(1575年)**で、信長・徳川家康連合軍は武田勝頼とぶつかります。
ここで信長は、鉄砲を計画的に使い、武田方の強みである騎馬中心の突撃に対抗しました。

この戦いの重要さは、単なる一勝ではありません。

統一をさまたげる大勢力をしりぞけたこと
そして
戦争のやり方そのものが変わったこと
この二つにあります。

つまり、長篠の戦いは「戦いの話に戻った」のではなく、
信長の新しい国づくりを、軍事の面から完成に近づけた戦い
だったのです。

第6章 安土城―なぜ信長は近江に巨大な城を築いたのか

長篠の戦いのあと、信長の勢力はさらに強まっていきます。
では、この強まった力をどこに集中させるのか。

そこで信長が選んだのが、近江でした。
そしてそこに築かれたのが、安土城です。

では、なぜ近江だったのか。

これも偶然ではありません。近江は京都に近く、政治の中心をにらむのに非常に便利です。しかも東国と西国を結ぶ交通の要所であり、さらに琵琶湖の水運も利用できます。
つまり近江を押さえれば、
政治にも、交通にも、経済にも強くなれる
のです。

安土城は、ただ敵を防ぐための城ではありませんでした。もちろん防御の役目もあります。けれどもそれ以上に重要なのは、
「信長の権力を見せる城」
だったことです。

高くそびえる天主、豪華なつくり、整えられた城下町。
その姿は、「これからの日本の中心はここだ」と人々に示していました。

ここまでくると、信長のやっていることははっきりしています。

桶狭間で生き残り、
京都へ進出して幕府を終わらせ、
改革で人・物・金の流れを変え、
長篠で統一の障害を取り除き、
安土城で新しい支配の中心を形にした。

つまり信長は、
戦国を終わらせるための設計図を、少しずつ現実にしていた
のです。

しかし、その設計図は完成を目前にして断ち切られます。

第7章 本能寺の変―なぜ信長の時代は完成直前で止まったのか

1582年、家臣の明智光秀が反乱を起こし、信長は京都の本能寺で自害します。本能寺の変です。

ここまで読んできた人ほど、「なぜここで終わるのか」と感じるはずです。
まさにその通りで、信長は統一目前でした。

だからこそ、本能寺の変は歴史の大転換なのです。

では、なぜこの事件が起きたのか。
実は、はっきりしたことは今でも分かっていません。
光秀の個人的な不満、信長の厳しい性格、政治的な対立、さまざまな説があります。

ただ、一つ確かなことはあります。

信長の改革は、あまりにも急で、あまりにも強引でした。
幕府を倒し、宗教勢力を押さえ、商売の仕組みを変え、有力大名を打ち破り、新しい支配の中心を築いていく。
これだけ大きな変化を短期間で進めれば、当然、強い反発も生まれます。

つまり信長は、
時代を前に進める力があまりに強かった人物
だったのです。

そして、その信長がいなくなったことで、日本は再び大きく揺れます。
けれども、信長がここまで進めた変化そのものは、消えませんでした。

幕府はすでに終わっている。
古いルールも壊れ始めている。
統一へ向かう流れも止まらない。

だからこそ、この流れを引き継ぐ人物が現れます。
それが豊臣秀吉です。

最後に 信長が残したもの―なぜ次は秀吉なのか

ここまでの流れを、最後に一本でつないで確認しておきましょう。

室町幕府が弱まり、日本は戦国大名たちが争うバラバラの時代になった。
その中で信長は桶狭間の戦いで一気に頭角を現し、京都へ進出して足利義昭を将軍に立てながら政治の中心に入り込んだ。
しかし最終的には義昭を追放し、室町幕府そのものを終わらせた。
その後は、楽市楽座や関所の整理で経済の流れを変え、比叡山延暦寺や石山本願寺のような強大な対抗勢力を押さえ込み、長篠の戦いで統一への障害をしりぞけ、安土城によって新しい支配の形を示した。
そして本能寺の変で倒れた。

ここで大事なのは、信長が「統一を完成させた人」ではないということです。
信長は、むしろ
戦国時代の古いルールを壊し、日本を統一へ向かわせた人
でした。

だから次に必要だったのは、その壊れた世界をまとめ直す人物です。
その役割を担ったのが秀吉でした。

👉 要点整理
・信長は戦国のバラバラな世界に終わりを見せた
・ただし、統一そのものは完成していない
・だから次の時代には、「壊した後にまとめる人」が必要だった

次回の秀吉編では、
なぜ秀吉が信長の後を継げたのか
どうやって全国統一を完成させたのか
そして
なぜ安土桃山時代が江戸時代につながっていくのか
を、同じようにストーリーで見ていきます。

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